憲法 人権 (H22-5)
表現の自由の保障根拠に関する次の記述のうち、他と異なる考え方に立脚しているものはどれか。
1 広告のような営利的な表現活動もまた、国民一般が消費者として様々な情報を受け取ることの重要性に鑑み、表現の自由の保護が及ぶものの、その場合でも保障の程度は民主主義に不可欠な政治的言論の自由よりも低い、とする説がある。
2 知る権利は、「国家からの自由」という伝統的な自由権であるが、それにとどまらず、参政権(「国家への自由」)的な役割を演ずる。個人は様々な事実や意見を知ることによって、はじめて政治に有効に参加することができるからである。
3 表現の自由を規制する立法の合憲性は、経済的自由を規制する立法の合憲性と同等の基準によって審査されなければならない、とする説が存在するが、その根拠は個人の自律にとっては経済活動も表現活動も同等な重要性を有するためである。
4 名誉毀損的表現であっても、それが公共の利害に関する事実について公益を図る目的でなされた場合には、 それが真実であるか、真実であると信じたことに相当の理由があるときは処罰されないが、これは政治的な言論を特に強く保護する趣旨と解される。
5 報道機関の報道の自由は、民主主義社会において、国民が国政に関与するために重要な判断の資料を提供し、国民の知る権利に奉仕するものであり、表現の自由の保障内容に含まれる。
解答 3
この問題は、「他と異なる考え方」とありますが、難しく考えずに、私達が勉強したものとは異なる考え方か、あるいはその逆であるというくらいに考えて解けば方向性がみえてきます。各肢にはヒントがあります。
肢1 民主主義に不可欠な政治的言論
肢2 参政権的な役割を演ずる
肢3 ?
肢4 政治的な言論を特に強く保護する趣旨
肢5 国民が国政に関与するため
表現の自由の内容には、自己実現の価値と自己統治の価値とがありましたね。
このうち自己統治の価値に着目した考え方が、肢3以外の考え方です。つまり、私達が勉強した通りの表現の自由の内容を考えれば、それでいいというわけです。個別に解説しておきます。
肢1 他と異なる考え方ではない
営利的表現の自由の場合は、上記の自己統治の価値が希薄なのです。
例えば、企業のCMなどは営業活動の一環であり、企業の利益のためですから、どちらかというと経済的自由権に近いのです。
また、CMなどが誇大広告かどうかは、事実から客観的に判断することができるので、裁判所によらずとも行政機関による判断にもなじみます。
行政機関に任せても客観的な事実と照らし合わせればわかるでしょうから常に裁判所で判断してもらう必要はないでしょう。
そういう意味で、営利的表現の自由に対する規制については、政治的表現の自由などの純粋な表現の自由に対する規制よりも緩やかな基準で裁判所は審査するのです。
緩やかな基準で裁判所が違憲審査をするということは、純粋な表現の自由よりも強い制約を受けやすいということです。
強い制約を受けやすいということは、純粋な表現の自由よりも保障の程度が低いということになります。
肢2 他と異なる考え方ではない
知る権利には、国家によって知る権利を妨げられない自由権的側面(国家からの自由)と、国家に情報公開を請求するという社会権的側面(国家による自由)がありましたね。そして、国家から自由であるためには、国民自らが統治者になれることが必要であり、自由権と参政権は、自由主義と民主主義との関係と同様に密接不可分に結びついています。つまり、国家からの自由が保障されるためには、国民が自ら政治に参加することが必要となるということです。このように自由と投票とは密接不可分なので、知る権利は参政権的な側面(国家への自由)も有しているのです。
肢3 他と異なる考え方である
私たちは、表現の自由を規制する立法の合憲性については、まず二重の基準で判断します。二重の基準とは、制約される憲法上の自由が精神的自由権か経済的自由権かで違憲審査基準を使い分ける手法です。ですから、「経済的自由を規制する立法の合憲性と同等の基準によって審査されなければならない、とする説」は、二重の基準をとらない考え方ですね。ですから、私達が勉強したものとは異なる考え方です。したがって、他と異なる考え方です。
なお、他の参考書等では、「精神的自由権の優越的地位」というのがよく記載されていますが、これはあくまでも裁判所との関係では、精神的自由権の方が経済的自由権よりも大事に扱うという意味くらいに思ってください。精神的自由権(主に表現の自由)については、民主政の過程で回復困難だからです。一度傷ついたら回復が困難なので、ガラスの玉のように扱うという意味です。
肢4 他と異なる考え方ではない
名誉毀損的表現であっても、表現の自由の一つとして保障されるのは勉強した通りです。
そして、刑法上の名誉毀損罪は、原則として名誉権を保護し、例外的に一定の要件を満たす場合は、表現行為を保護しているのです。
そういう意味で、名誉毀損罪は名誉権と表現の自由の調整規定なのです。
ですから、問題文の「それが公共の利害に関する事実について公益を図る目的でなされた場合には、それが真実であるか、真実であると信じたことに相当の理由があるときは処罰されないが」という点は、刑法230条の2の例外のことであり、「これは政治的な言論を特に強く保護する趣旨と解される。」というのは、230条の2が、上記の表現行為を保護しているという意味です。
したがって、勉強した通りの考え方ですね。
肢5 他と異なる考え方ではない
報道機関の報道の自由も、表現の自由の一つとして保障されているのでしたね。
なお、問題文は、博多駅事件の言い回しなのでそのまま押さえておいて下さい。
「報道機関の報道の自由は、民主主義社会において、国民が国政に関与するために重要な判断の資料を提供し、国民の知る権利に奉仕するものであり、表現の自由の保障内容に含まれる。」