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憲法 人権 (H28-6)


信教の自由・政教分離に関する次の記述のうち、最高裁判所の判例に照らし、最も妥当なものはどれか。


1  憲法が国およびその機関に対し禁ずる宗教的活動とは、その目的・効果が宗教に対する援助、助長、圧迫、干渉に当たるような行為、あるいは宗教と過度のかかわり合いをもつ行為のいずれかをいう。

2  憲法は、宗教と何らかのかかわり合いのある行為を行っている組織ないし団体であれば、これに対する公金の支出を禁じていると解されるが、宗教活動を本来の目的としない組織はこれに該当しない。

3  神社が主催する行事に際し、県が公費から比較的低額の玉串料等を奉納することは、慣習化した社会的儀礼であると見ることができるので、当然に憲法に違反するとはいえない。

4  信仰の自由の保障は私人間にも間接的に及ぶので、自己の信仰上の静謐を他者の宗教上の行為によって害された場合、原則として、かかる宗教上の感情を被侵害利益として損害賠償や差止めを請求するなど、法的救済を求めることができる。

5  解散命令などの宗教法人に関する法的規制が、信者の宗教上の行為を法的に制約する効果を伴わないとしてもそこに何らかの支障を生じさせるならば、信教の自由の重要性に配慮し、規制が憲法上許容されるか慎重に吟味しなければならない。




解答 5


テキスト(P69、70 )および過去問(H20-41)を勉強していれば、容易に正解できたでしょう。


肢1 誤

 「憲法二〇条三項にいう宗教的活動とは、そのかかわり合いが相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって、当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。」

目的=宗教的意義

かつ

効果=宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為

かどうかで判断するということです。

本肢では、その目的・効果が宗教に対する援助、助長、圧迫、干渉に当たるような行為としている点で、「目的=宗教的意義」としていないので誤りです。

肢2 誤

第89条  

「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」

上記の「公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業」とあるとおり、宗教上の組織、団体以外の事業も含まれるため、宗教活動を本来の目的としない組織であってもこのような事業を行っていれば、公金支出が禁止されるのです。

肢3 誤

愛媛玉串訴訟(最高裁平9年4月2日)を念頭にした出題です。

 「県が神社に奉納したことは、その目的が宗教的意義を持つことを免れず、その効果が特定の宗教に対する援助、助長、促進になると認めるべきであり、これによってもたらされる県と神社等とのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものであって、憲法二〇条三項の禁止する宗教的活動に当たると解するのが相当である。」

 比較的低額かどうかは問題とされずに違憲だとされています。ちなみに愛媛玉串料も5千円程度なので、 比較的低額といってよいでしょう。

肢4 誤

自衛官合祀訴訟(最高裁判所昭和63年6月1日判決)を念頭にした出題です。

以下、事例と判決の要旨を載せておきます。

(事例)

「クリスチャンである原告は交通事故で死亡した夫(自衛官)が靖国神社に合祀されたため自己の宗教上の人格権を侵害して合祀申請をした社団法人隊友会と自衛隊地方連絡部に対し損害賠償と合祀申請の取消しを求める訴えを提起した事件です。」

(判決の要旨)

「私人相互間において憲法二〇条一項前段及び同条二項によつて保障される信教の自由の侵害があり、その態様、程度が社会的に許容し得る限度を超えるときは、場合によつては、私的自治に対する一般的制限規定である民法一条、九〇条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によつて、法的保護が図られるべきである。しかし、人が自己の信仰生活の静謐を他者の宗教上の行為によつて害されたとし、そのことに不快の感情を持ち、そのようなことがないよう望むことのあるのは、その心情として当然であるとしても、<かかる宗教上の感情を被侵害利益として、直ちに損害賠償を請求し、又は差止めを請求するなどの法的救済を求めることができるとするならば、かえつて相手方の信教の自由を妨げる結果となるに至ることは、見易いところである。>

 信教の自由の保障は、何人も自己の信仰と相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して、それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要請しているものというべきである。このことは死去した配偶者の追慕、慰霊等に関する場合においても同様である。何人かをその信仰の対象とし、あるいは自己の信仰する宗教により何人かを追慕し、その魂の安らぎを求めるなどの宗教的行為をする自由は、誰にでも保障されているからである。原審が<宗教上の人格権であるとする静謐な宗教的環境の下で信仰生活を送るべき利益なるものは、これを直ちに法的利益として認めることができない性質のものである。>」

 このように、自己の信仰上の静謐が、原則として法的利益として認められないので誤りです。

肢5 正

過去問(H20-41)でも出題されていますが、本肢の部分は著名な部分に比べると読んだことがない部分かもしれないので、少し悩んだかもしれません。以下、宗教法人オウム真理教解散事件(最判平成8年1月30日)の本肢に関連のある部分を載せておきます。 

「解散命令によって宗教法人が解散しても、信者は、法人格を有しない宗教団体を存続させ、あるいは、これを新たに結成することが妨げられるわけではなく、また、宗教上の行為を行い、その用に供する施設や物品を新たに調えることが妨げられるわけでもない。すなわち、解散命令は、信者の宗教上の行為を禁止したり制限したりする法的効果を一切伴わないのである。もっとも、宗教法人の解散命令が確定したときはその清算手続が行われ(法四九条二項、五一条)、その結果、宗教法人に帰属する財産で礼拝施設その他の宗教上の行為の用に供していたものも処分されることになるから(法五〇条参照)、これらの財産を用いて信者らが行っていた宗教上の行為を継続するのに何らかの支障を生ずることがあり得る。

 このように、<宗教法人に関する法的規制が、信者の宗教上の行為を法的に制約する効果を伴わないとしても、これに何らかの支障を生じさせることがあるとするならば、憲法の保障する精神的自由の一つとしての信教の自由の重要性に思いを致し、憲法がそのような規制を許容するものであるかどうかを慎重に吟味しなければならない。>

 このような観点から本件解散命令について見ると、法八一条に規定する宗教法人の解散命令の制度は、前記のように、専ら宗教法人の世俗的側面を対象とし、かつ、専ら世俗的目的によるものであって、宗教団体や信者の精神的・宗教的側面に容かいする意図によるものではなく、その制度の目的も合理的であるということができる。」




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